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株主と債権者

今、手元に1億円あるとします。このお金は、自分の生活や事業には関係なく“お小遣い”として使えるとしましょう。これをあるギャンブルに全部突っ込むと、

① 99%の確率で2億円になるが、1%の確率で0円になる

としたら、賭けてみますか? これ、ほとんどの人は「やる!」というのではないでしょうか。だいたいの場合は2億円になるのです。それに対してゼロになる確率はたったの1%。それならやらない手はないですよね。仮にゼロになっても、それ以上のリスクはないのですから。

それでは、自分の資金はゼロだけど、資金力豊富かつ回収の厳しい金融業者(帝愛グループみたいなものを想像してください笑)が1億円融資してくれるという条件で、

② 99%の確率で2億円になるが、1%の確率で0円になる

というギャンブルがあったら、賭けてみますか? 99%は、2億円のうち1億円(+利息等)を差し引いた残額がまるまる手元に残ります。つまり、ほぼほぼ1億円が手に入るのです。しかし残りの1%に当たってしまうと、地下王国での強制労働が待っている…とすると、ためらう人も出てくるでしょうね。

それでは、自己資金ゼロ、資金力豊富かつ回収の厳しい金融業者が1億円融資してくれるという条件で、

③ 1%の確率で2億円になるが、99%の確率で0円になる

というギャンブルならどうですか? だいたいの場合は負けるのです。これはもう、やる人はいないでしょう笑

 

さて、株式会社が事業で収益を上げること以外に資金を調達する方法としては、株式を発行して出資を募るか、社債発行や金融機関からの融資といった借入をするか、大まかにこの2通りが考えられます。出資した人は株主になるし、お金を貸した人は債権者になるのですよね。それで、会社法の試験対策としては株主の権利はどんなものがあるとか、債権者に対してはこういう保護手続があるとか覚えていくのですけど、今回はそういう話ではなく、株主と債権者の行動原理みたいなものを見ていきたいと思います^^

 

そこでまず、株主と債権者との立場の違いを改めて考えてみると、株主は会社にお金を出資しますね。そのお金は会社のものになるのであって、一度払い込んだ出資金は返還されません。その代わり、会社が業績を上げて剰余金が発生すれば、そこから配当を受け取れます。しかしこの配当はいつ支払われるか決まっているわけではなく、金額も決まっておらず、会社の業績によるのですね。会社が儲かっていればたくさん配当がもらえるし、期末だけでなく中間配当を実施するかもしれません。逆に儲かっていなければ配当ゼロということもあり得ます。一方、債権者も会社に対してお金を出すところは株主と同じですが、それはあくまでも貸すのであり、債権債務の関係になります。そして、契約等であらかじめ決まった日に、あらかじめ決まった金額(元本+利息など)を、会社が債権者に対して弁済することになります。会社の業績がどうなろうと関係なく、債務を履行しなければいけません。

次に、会社法上株主よりも債権者の方が優遇されていることが多いです。たとえば会社を清算するときは、まず債権者に弁済して、それでも残余財産があったとき初めて株主に回ってきます。会社が清算するときって経営が上手くいかなくて倒産する場面が思い浮かびますけど、そんなときの残余財産は債権者に弁済するだけでゼロになってしまうでしょうね。つまり、残余財産については債権者が優先されているのです。また上記した剰余金の配当も、債権者の取り分をしっかりと確保してからでなければ株主には回ってきません。それをやっているのが分配可能額による財源規制です。大まかにいえば資産から負債を差し引いた額が資本金を下回る場合には、株主への配当ができないのですよね。資本金がマイナスになることはありませんので、必ず資産が負債よりも大きくなければ株主への配当は行われず、したがって負債と同額になるまでの資産(=債権額と同額)は必ず確保され、その結果債権者が保護されることになります。さらには残余財産や配当以外にも、資本金の減少や組織再編には債権者保護手続が定められていますよね。株主がいくら株主総会で決議をしても、債権者保護手続が完了していなければ効力が生じません。これも債権者優先と言っていいと思います。なお、細かく見るとそうなっていないところもあるのです。たとえば株主からの単元未満株式の買取請求には財源規制が適用されませんが、これは株主の権利を債権者の保護よりも優先したからでしょう。

そしてもう一つの違いは、株主は経営に関与できる、ということです。会社の経営は直接的には取締役が行いますが、株主は議決権行使という形で経営にあたる取締役を選任できるわけで、取締役を通じて間接的に会社を経営していると言えますね。一方、債権者にはこのような権限はありません。会社に何億円とか何十億円とかの巨額の融資をしていてもです。もっとも、銀行から融資を受けるために銀行からの助言(実質は銀行の指示)に従って事業を進める、銀行から役員を受け入れる、といったことは割と普通に見られます。そういうのなんてモロに債権者が経営に関与しているじゃないかと思うわけですけど、会社法の話とはちょっと違いますね^^;

 

会社にお金を出すという点では株主も債権者も同じなのに、株主は経営に口を出せるけど、債権者は(普通は)できないのはどうしてでしょう? これは、合理性のある経営により社会的効用の増大が期待できるから、なのだそうです。債権者は、自分の債権が回収できればよく、それ以上の利益には関心を持たないでしょう。だから債権者が経営者だったら、債権回収に必要となる以上のリスクを取ることは避けるはずです。一方、株主は会社の儲けが増えれば増えるほど自分の取り分も増えていくわけだから、多少のリスクがあっても儲けが見込める事業には果敢に乗り出していくと考えられます。

たとえばある会社の資産が3億円、負債が2億円あるとしましょう。ここで、ある事業を行うと99%の確率で資産が4億円になるけど、1%の確率で資産がゼロになるとしたら、この事業をやるべきでしょうか? 債権者から見ると、自分の債権がパーになる確率が1%でもある事業には手を出したくないと考えるはずです。何しろ現状維持なら確実に債権が回収できるのですし、しかも資産が4億円になろうが5億円になろうが、それは債権者には関係のないことです。それなら余計なことはしないでくれ、と思うことでしょう。しかし一般的な感覚からすると、やった方が良さそうな気がしますね。まず失敗しないのだから、やればいいじゃないか、と思う人が多そうです。そして株主も当然やると言うでしょう。99%の確率で自分の取り分が増えるのだから、やらないはずはありませんね。

では、ある会社の資産が1億円で、負債が2億円あるとしましょう。つまり債務超過で倒産寸前という状況です。ここで、ある事業を行うと99%の確率で資産が2億円になるけど、1%の確率で資産がゼロになるとしたら、この事業をやるべきでしょうか? 株主としては、どちらにしても配当を受け取ることはできません。資産がゼロになったらもちろんのこと、資産が2億円になっても負債を弁済したらなくなってしまいます。とはいえ何もしなければそのまま会社が清算されて取り分ゼロで終わってしまいますから、それなら99%の確率で会社が存続する方に賭けてみるでしょう。債権者はどうですかね? 現状維持なら、自分の債権は半分回収できます。その事業をやれば99%は全額回収できる、でも1%の確率で全損、となると迷うところです。でも結局は、確実に半分は回収できる現状維持を望み、事業はやらないという考えに傾きそうですね。万が一失敗したら…ということです。一般的な感覚でも、やるかやらないか意見が分かれそうだなと思います。

さらに違うシチュエーションで、ある会社の資産が1億円、負債が2億円あるとしましょう。ここで、ある事業を行うと1%の確率で資産が3億円になるけど、99%の確率でゼロになるとしたら、この事業をやるべきでしょうか? 一般的な感覚では、こんな事業に乗り出すなんて馬鹿げている、と思いますよね。債権者も、そんな事業なんかどうでもいいから粛々と清算手続を進めてほしいと言うでしょう。しかし株主は、この状況でも事業をやるはずです。このまま会社を清算すると、資産はすべて債務の弁済に回されて、株主の取り分となる残余財産はゼロ。他方、残余財産がゼロになる以上の責任は負いません(=出資した金額以上の損はしない)。それならば自分の取り分が発生する確率が1%でもある事業に手を出すのは、株主としては合理的と言えます。たとえそれが馬鹿げたギャンブルとしか言いようのない事業であっても、です。しかし、そういう事業って社会的にやる意味あるでしょうか?^^;

 

こうして見てくると、株主はチャレンジングで成長志向、債権者は保守的で安定志向になりやすそうですね。でも、状況によっては株主に経営を任せておくことが社会的に良いとは言い切れないようです。

株主が楽天的とも言えるような行動をするのは、株主有限責任の帰結であるのでしょう。つまり出資した金額以上の責任は負わないという原則であり、これによって多くの投資家から多額の出資を集め、個人個人の投資家や事業家では考えられなかった大規模な事業の遂行が可能になる、とされています。社会がこんなに発達したのは、株式によってお金を集める仕組みのおかげとも言えるわけですね。しかし、状況によっては株主が収益的な事業に駆り立てられているとも見えてくるというか、薬物でリスクを感じなくなった人みたいですよね…。最初にギャンブルの話を出したのは、株式の投資家ってちょっとギャンブラーに似ているなと思ったもので^^; 一方、金融の手段が債権者からの借り入れしかなかったら、ダイナミックな事業展開はなかなか望めず、今のような社会はなかったか、数百年くらい遅れていたのかもしれません。しかし、派手さはないけど長期に渡る安定的な融資が資金供給源になるからこそ、コツコツと積み上げるような事業が成り立つとも言えます。やっぱり、株主と債権者のどちらかだけでは、今の社会は成り立たないのでしょうね。そしてこの両者が分配可能額を挟んで拮抗しているのだと思うと、なかなか危うい関係だなぁと思ったりします。

 

おっと、ゆるゆると思ったことを垂れ流していたらめっちゃ長くなってしまった笑 いい加減ちゃんと試験勉強しなくちゃですね^^;