ここにも所有者不明問題が!
限界集落とは、住民の高齢化が進むとともに人口が減少して、一つの共同体としての機能を維持できなくなりつつある集落のことですよね。たまに山奥の峠道を辿ると人が住まなくなって何十年も経った家々が固まっているところなんかがあったりします。限界というより、集落としては死んでしまったという感じですけど。まあでも、東京から車で何時間もかかるということでなくても、その地域の中心都市まで車で行くのに1~2時間かかるようなところは、自給自足の生活でもできない限り暮らしていくのは難しいよなぁ…と思います。自分はまだ50手前で往復数時間程度の車の運転は何ともないですけど、もっと年を取ったら相当にキツそうな気がしますし。冬とか困りますよね。限界集落になってしまうのは、そういう位置的な要因は大きいと思います。
一般に限界集落は、山の中に昔ながらの木造の住家が散在していて、戦後しばらくは杣人が山や畑の仕事をして細々と暮らしていたけど、その子供世代はみんな山を下りて都会へ出て行って、今では高度に高齢化が進んでしまった…というイメージです。山奥の峠道沿いの廃集落なんかは、そういうものなのでしょう。しかしそうではなくて、都会へ通勤する人のために(そればかりではないけど)開発された住宅地が限界集落化する事例も出てきました。以前ここでも記事にした「茨木台ニュータウン」など、好事家?から限界ニュータウンと呼ばれたりするところですね。
ちなみに、自分がだいたい小学生から高校卒業あたりまでを過ごした実家があったのが、とある政令指定都市のベッドタウンとして、山を切り開いて造成されたニュータウンでした。山を切り開いて…ということで、ニュータウンの入口から奥に向かって坂道を登る一方という構造。そして一区画ごとにコンクリートブロックの擁壁で区切られて、区画の中は平らに整地されていました。全体的に見ると段々畑のようになっているわけですね。で、その一区画単位で土地が分譲され、そこを買った人が各々自宅を建てて住んでいるのでした。
ニュータウンといっても元々は山なので、自然…かどうかは分かりませんけど、少なくともカブトムシとかクワガタとかトカゲとかカナヘビとかアオダイショウが珍しくない程度にはいましたよ。実家の目の前はちょうど道路と山の境目の法面になっており、斜面にニセアカシアがたくさん植わっていて、初夏になると白い花が咲くのでした。造成地から外れた山の中はだいたい松林で、その中を縫うように山道が付けられていたので、あちこち歩き回ってこの道をこっちに行くとここに出られるのか!みたいな遊びをよくやってましたね。多分、秋になると山に入るキノコ狩りをする人とかのために付けた道なんじゃないかと思うのですが、松茸が採れるって話は聞いたことなかったな…。隣の家に住んでいた爺さんは猟銃を持っていて、たまに警察の人が来てました。でもイノシシとかクマとかが出るって話も聞いたことないな〜。まあ住宅地の近くに、そんな動物がいるとも思えませんけどね。
さて、そんなこんな思い返してみた子供の頃の生活は、まるでいつでも自然と触れ合える意識高い系サブアーバンライフみたいな感じがしてきますが、実態はそんなものではないのです^^; 何しろ、実家から最寄駅まで徒歩25分。行きは下り坂だから楽ですが、帰りは駅から家まで登る一方。真夏はかなりツライですよ。自転車なら行きは10分もあれば余裕で駅まで行けました。でも帰りは徒歩より大変なんですよね。とはいえ横浜とか神戸とかの山沿いの住宅地なんかで見られるハンパない急坂に比べればまだマシだったかも笑 それと、朝出かけて駅で忘れ物に気付いた!なんてことになったら大変です。自転車なら30〜40分、徒歩なら1時間近いロスになってしまいます。だから出かける前にアレを持ってコレを持って…と確認するのが習慣づけられますけど、それでも絶対忘れ物をしないとは言い切れませんよね。
車ならどうかというと、駅前に駐車場でも借りられれば、あるいは最近ならパークアンドライドの駐車場が整備されているところも増えているので、それなら利用しやすいと思います。自分が子供の頃は、駅近くのスーパーが駐車場を月極で貸すというサービスをやっていて、ニュータウン住民の中での利用者は多いようでした。そのうち、家庭の主婦が盛んに自動車の運転免許を取得して個人用の軽自動車や小型車を買うのが流行りだして、自分の母親もあるとき普通免許を取得して原付から乗用車に乗り換え、朝の通勤時に父親を駅まで車で送っていくようになりました。でも、そういう家庭が割と短期間に増えたためか、駅とニュータウンを接続する道路が渋滞するようになりました。駅へ通じる道路は1本だけ。朝になると、そこに車が集中するのです。しかも、ある決まった人がいつもゆっくりめに車を走らせるのを、急いでいるのに追い越すに追い越せなくて後ろに付いて走らざるを得ないのが迷惑!などと母親が騒いでいたりもしました。冬になると路面が凍結して、そこに夏タイヤのまま突っ込んで動けなくなって渋滞する、なんてことも毎年の恒例行事みたいな感じでしたし、車があっても不便なところは残るのですよね。
ご近所付き合いみたいなのは、昭和50〜60年代だけあって、ニュータウンといえども今より濃密だったと思いますが…ゴミ捨てのルールとか町内会のイベントとか回覧板が回ってくるとか、そういうのでトラブっているのはあまり見たことないような。でも近所で葬式があって、ある人が焼香のための香炉を動かしたらそのタイミングが気に入らないとか、何人かの兄弟が続けて病気になって霊能者?的な人に見てもらったらその区画は家を建ててはいけない場所なのだと言われたとか、今考えると奇妙としか言いようのない話がたくさんあったように思います笑 自分はそういうの煩わしいと思う方なので、そういう場所には絶対に住めないですねぇ^^;
…おっと、つい長々と自分語りをしてしまった。年寄りの悪いクセですね笑 それで以前、日本で最も有名であろう限界ニュータウン「茨木台」を取り上げました。実際に茨木台に物件を所有している方の動画を見て、限界ニュータウンとは言われているけど、意外と良い感じで生活できるんじゃない?という印象を持ったのですが、こちらの動画を見るとやっぱり厳しそう…とも思えますね^^;
こちらでは、開発初期に土地を買って住み続けておられる方が登場し、開発当初のパンフレットを見せてくれます。いやぁ、味わい深い。そして、60坪ほどの土地の価格が当時約1,200万円だったということで、バブル期の狂乱ぶりがよく分かります。現在の住民の平均年齢は70代半ばとのことで、茨木台の立地を考えると空恐ろしいものがありますね。コロナに罹ったとき救急車で運ばれた身からすると、現実に生命の危険さえあるよなぁ…と思えてしまいますよ。その現実としては、手入れされていない擁壁が崩れて下の住宅を壊してしまい、人命に関わるので仕方なく亀岡市が処置をした、ということがあったそうです。でもそのシーンでナレーションが「(下の住宅が)幸い空き家だったため大事には至らなかった」とか言ってて、空き家が幸いってことになるのはスゴイな…と思いました^^;
前に紹介した動画のうぷ主さんも出演なさっています。茨木市内に(ちゃんとした意味での)自宅があって、茨木台の家は別荘として、あるいは仕事のために使っておられるわけですね。というか、この動画には他にも何人かにインタビューしているのですが、茨木台に定住していると思われるのは開発初期から住み続けている方だけです。他の人はみんな他に自宅があって、そこだけで生活や仕事はできるけど、家がもう1軒あったら便利だから、あるいは安く借りられるから、という理由で茨木台に来ているのですよね。やっぱりここ(だけ)に住むのは…大変そうですもん^^;
世の中、コロナの影響で一気にテレワークやリモートワークが定着し、さらには居住地の制限を撤廃する会社も出てきています。ネットでデータをやり取りし、時々ZoomやTeamsで打ち合わせすれば仕事が回るというのなら、働く人が北海道にいても沖縄にいても特に関係ないですからね。だからゴミゴミした都会を抜け出して、空気の綺麗な地方でのびのび生活しよう!と考える人が出てきても不思議ではありません。そういう人には、大阪から近くて、それでいて車でなければアクセスが難しくそれなりに隔絶されていて、標高500mで空気も良い茨木台は、なかなか住みやすいところに思えたりするんでしょうか。しかし、定住するのはやっぱりハードル高そうだなぁ、という気がします。いくらネットが通じても、それだけでは現実に食べ物を運んできてくれたりするわけではありませんし。すると、動画に出てくる人の多くがそうであるように、別荘等として活用するのが良さそうな感じがしますね。自治会に支払う水道施設のお金なんかも含めて100万円台で一戸建てが手に入るのなら買いたい!て人は割といそうです。しかしそこに立ちはだかるのが、所有者不明の問題…ということなのですね^^;
最後に登場した不動産業の方は、司法書士に依頼したりしなかったのでしょうか? といっても、茨木台のように価格が低めな物件の所有者捜索や移転登記手続は、ひょっとしたらあまりやりたいという人はいないかもですね。手間の割には報酬が…という^^; 自分は個人的に興味のある仕事だからやってみたい気もしますが笑